Service  陸修偕行社慰霊祭のご案内

令和6年度 陸修偕行社慰霊祭の実施

 

陸修偕行社初となる慰霊祭を斎行 

令和6年4月17日、靖國神社本殿において陸修偕行社主催の慰霊祭が斎行されました。
火箱芳文理事長以下、多数の会員が参集し、まず市ヶ谷防衛省殉職隊員慰霊碑に参拝。引き続き靖國神社本殿にて慰霊祭を執り行いました。
なお、当日は靖國神社の大塚海夫宮司よりご挨拶がありました。大塚宮司は元海上自衛隊海将で、防衛省情報本部長、外務省ジブチ大使を歴任。4月1日付で、靖國神社第14代宮司に就任されました。

 
火箱芳文理事長の祭文は以下の通りです。
 
祭 文

 本日ここに、令和六年度陸修偕行社慰霊祭を、戊申戦争以降の二四六万六千余柱の殉国者の御霊が祀られている靖国神社において、斎行するにあたり、ご参列の皆様を代表して、謹んで祭文を奏上いたします。
 
 本日四月十七日は、明治維新以降近代国家として発展するわが国が、国軍創設後初めて国運を賭けて戦った対外戦争である日清戦争が、明治二十八年終結した日であります。
 爾来、日露戦争、第一次世界大戦・満州事変・支那事変・大東亜戦争などの数次にわたる対外事変や戦争に際して「国家防衛のためにひたすら「国安かれ」の一念のもと、多くの陸・海軍将兵及び従軍看護婦、女学生、学徒など軍属・文官・民間の数多くの方々が、祖国の国体の護持と繁栄、そして安寧を希(ねが)い、陸に海に、そして空において勇戦敢闘し、祖国のために殉じて逝(ゆ)かれ、また、国内においても多くの方々が勤労動員中に軍需工場等でお亡くなりになられました。
 愛する家族を故国に残し北は酷寒不毛、南は酷暑瘴癘(しょうれい)の異国の地、あるいは海洋で敢然と散って逝かれた方々、及び日本国の勝利を信じ不眠不休の勤労動員中に亡くなられた方々の無念さと、後に残されたご遺族の方々の深い悲しみに思いを致すとき、今なお万感胸に迫るものがあります。
 
 今日、わが国が享受している民主主義国家としての平和と繁栄は、明治維新以降の国家存亡の危機に際して、「国体を護る志」を持って崇高な使命に殉ぜられた多くの方々の献身により築かれた礎の上にあると言っても過言ではありません。この平和と繁栄が恒久的に続くことを願って止みませんが、昨今のわが国を取り巻く安全保障環境は、いまだかってない極めて厳しい状況にあると認識せざるを得ません。
 そして、同じ「国を守る」という強い意思をもつ自衛隊は、憲法上の制約により、未だ軍隊としての地位を与えられておらず、そこから派生する多くの重要な課題を抱えてわが国防衛の任務を遂行せざるを得ません。
 また、先の大戦が終結してから長い歳月が流れ、今や戦後生まれの世代が国民の主力を占めるようになり、平和と繁栄に慣れるうちに、戦没者に対する敬意と慰霊の心が薄れつつあることが憂慮され、更に国のために尽くすという責任感の希薄化と国民道徳・道義の頽廃は大きな懸念であります。
 
 このような状況の中で、偕行社は、本年四月一日、陸上自衛隊の幹部自衛官等退官者の会である「陸修会」との合同により、「陸修偕行社」となりました。
 陸修偕行社は、戦前の陸軍将校の皆様の御意志を受け継ぐ組織として、先人から託された歴史と伝統・文化に恵まれたこの素晴らしい国・日本の護持のため、諸課題の解決による安全保障体制の充実・発展に組織を上げて尽力するとともに、自衛隊、特に陸上自衛隊に対する必要な支援・協力を推進して行くことを御英霊の御前でお誓い申し上げます。
 また、陸修偕行社は、本日・四月十七日・日清戦争終結の日に、毎年、陸修偕行社慰霊祭を斎行して、これまでの偕行社の良き伝統と輝かしい事績を継承し、尊い一命をわが国のために捧げられた陸軍将兵を始めとする戦没者の慰霊・顕彰を引き続き行って参ります。
 さらに、国家としての英霊の慰霊顕彰のあり方は如何にあるべきかはもとより、今後、有事における任務遂行中に亡くなった場合の自衛官などの戦死者に対する慰霊・顕彰が、国家として相応(ふさわしい)姿で整斉と斎行されるよう提言していく所存であります。

 「新たなる 偕行の道 どこまでも 御霊とともに 吾は行くなり」
 「新たなる 偕行の道 どこまでも 御霊とともに 吾は行くなり」
 
 最後に、重ねて、国家のために尊い一命を捧げられた陸・海軍将兵、更には戦争において国の為に亡くなられた学徒、女子挺身隊員などの戦没者を慰霊顕彰し、安らけく神静まりますことを祈念するとともに、心からの感謝と敬意の念を捧げ、私どもになお一層のご加護とお導きを賜りますことを冀(こいねが)って慰霊の言葉といたします。
 
令和六年四月十七日
公益財団法人 陸修偕行社
理事長 火箱芳文 

 

令和5年度 偕行社慰霊祭の実施

 

昨年度同様の第2回偕行社慰霊祭を斎行 

令和5年4月17日、靖国神社本殿において偕行社森 勉理事長以下多数の会員が参集し、まず市ヶ谷防衛省殉職隊員の碑に参拝し、引き続き靖国神社本殿にて慰霊祭を斎行いたしました。

森 勉理事長の祭文は以下の通りです。
 
第二回偕行社慰霊祭 祭文
 
本日 四月十七日は、今から遡(さかのぼ)ること百二十八年前の明治二十八年、下関条約が締結され、明治維新以降近代国家として発展するわが国が、国軍建軍後初めての国運をかけての対外戦争である日清戦争終結の日であります。爾来、明治・大正・昭和のわが国防衛のために尊い一命を捧げられた多くの陸軍将兵とともに海軍将兵の戦没者の御霊(みたま)が祀(まつ)られるここ靖國神社において、「第二回偕行社慰霊祭」を執り行うにあたり、ご参列の皆様を代表して、謹んで祭文(さいもん)を奏上(そうじょう)いたします。
 
江戸幕府から明治政府へと、日本が明治維新によって近代化への道を歩き出した端緒(たんしょ)となったのは嘉永(かえい)六年のペリー来航という軍事力を背景とした開国・開港の要求でした。その後の下関戦争での敗北、薩英戦争の経験から、近代的な国づくりと欧米列強の軍事力に対抗し得る近代的な国軍の必要性を痛感した時(とき)の明治政府は、明治二年兵部(ひょうぶ)省を設置し、軍事制度と組織の整備に着手しました。明治五年には兵部省に代わり陸・海軍省が設けられ、明治六年徴兵令に基づく徴兵が開始され、わが国の国軍としての基礎が整えられました。この日本国軍の建軍からまもない明治七年には陸軍士官学校、明治八年には陸軍幼年学校がそれぞれ創設され、その翌年の明治九年には海軍兵学寮が改称されて海軍兵学校が開校しました。
 
陸軍士官学校からは、約三万九千名の卒業生が陸軍の将校として巣立っていきました。陸軍将校の方々は、明治十年の東京九段を皮切りに全国各地に設立された『偕行社』において、親和・研鑽に努められ、明治・大正・昭和にわたるわが国の近代国家建設の過程において、日本陸軍の中枢として国家存亡にかかわるわが国の枢要な軍事の任にあたられ、わが国の柱石(ちゅうせき)としての役割を果たされました。
 
特に、明治以降の日清戦争から大東亜戦争までの数次に亘る戦争に際しては、多くの陸軍将校の方々は、「国を護る志」のもと、伝統ある祖国の将来にわたる国体の護持と繁栄、そして安寧(あんねい)を希(ねが)い、北は酷寒不毛(こっかんふもう)の地、南は酷暑瘴癘(こくしょしょうれい)の地に赴き、陸にまた空において、勇戦敢闘して祖国のために殉じていかれました。その数は約八千余柱に及びます。愛する家族を故国に残して異国の地で敢然と散って逝かれた陸軍将校の方々の無念さと一家の柱を失い後に残されたご遺族の方々の深い悲しみに思いを致すとき、今なお万感胸に迫るものがあります。
 
同じく、海軍兵学校を卒業された約一万一千名の海軍士官の方々は、太平洋などの海・空戦において奮戦敢闘して、約四千名の方々がわが国防衛のためにひたすら「国安かれ」の一念のもと、祖国のために殉じられました。また、学徒や女子挺身隊などの多く方々が勤労動員中に軍需工場で亡くなられました。このような多くのかけがえのない方々を失ったことは、ご遺族はもとより、国家にとって誠に大きな痛手であり、悲痛の念に堪えません。
 
 今日、わが国・国民が享受している民主主義国家としての平和と繁栄は、明治以降の国家存亡の危機に際して、「国を護る志」を持ってわが国の存立を担う崇高な職務に殉ぜられた多くの方々の国のために尽くすという無私の献身により築かれた礎の上にあると言っても過言ではありません。改めて、ここ靖國神社に祀られる陸軍を始めとする全ての戦没者の御霊(みたま)に対しまして謹んで哀悼の意を表しますとともに、限りない尊崇と感謝の誠を捧げます。
 
現在、遠く欧州においては、軍事力を行使して隣国の体制の変換を求める軍事侵攻事態が生起しておりますが、国際社会は核保有国による非核保有国への侵攻を抑止出来ないことが明らかになりました。翻って、わが国周辺には政治体制の異なる核保有国が存在しています。わが国を取り巻く安全保障環境は、いまだかってない極めて厳しい状況にあると認識せざるを得ません。このようななか、同じ「国を護る」という強い意思をもつ陸上自衛隊は、防衛予算などによる人的・物的制約に加え、憲法上の制約により軍隊としての地位を与えられておらず、そこから派生する多くの重要な課題を抱えてわが国防衛の任務を遂行せざるを得ません。偕行社は、令和六年四月における陸上自衛隊の幹部退官者の会である陸修会との合同を経て、戦前の陸軍将校の皆様の御意志を受け継ぐ陸上自衛隊の元幹部自衛官の組織として、先人から託された歴史と伝統・文化に恵まれたこの素晴らしい祖国日本の護持に寄与するため、諸課題の解決による安全保障の充実・発展に尽力するとともに、陸上自衛隊に対する必要な協力を実践していくことを御英霊の皆様にお誓い申し上げます。
 
一方において、先の大戦が終結してから長い歳月が流れ、今や戦後生まれの世代が国民の主力を占めるようになり、平和と繁栄に慣れるうちに、戦没者に対する敬意と慰霊の心が薄れつつあることが憂慮されます。更に、国のために尽くす責任感の希薄化と国民道義の頽廃(たいはい)は大きな懸念であります。偕行社は、本日のこの慰霊祭をとおして、国のために殉じられた陸軍の戦没者の慰霊・顕彰と国民一人一人の「国を護る志」の大切さをしっかり普及し、後世に受継いでいかなければならないと決意を新たにするものであります。
 
 先般の令和の御代(みよ)の幕開けに伴いご譲位あそばされた上皇陛下は、天皇陛下御即位以降三十年にわたり、戦没者の慰霊には格別の大御心(おおみこころ)を寄せられ、国内外にわたり慰霊の旅を続けられました。また、天皇陛下は、上皇陛下のお心を引き継がれ、昨年十月、即位後初めて先の大戦において激戦地となった沖縄本島を訪問され、戦没者を慰霊されました。陸軍の戦前の偕行社の良き伝統と輝かしい業績を継承する陸上自衛隊などの元幹部自衛官からなる新たな偕行社は、上皇陛下・天皇陛下の戦没者の慰霊に対する強い思し召しにそうよう、尊い一命をわが国のために捧げられた戦没者の慰霊・顕彰が、世界の民主主義国家の一国として在るべき姿で行われるまでの間、国家に代わり、靖國神社において「偕行社慰霊祭」を斎行して、陸軍の戦没者の慰霊・顕彰を行って参ります。また、陸軍の戦没者はもとより、今後同じ「国を護る志」を持ち、事に臨んで任務遂行中に亡くなった場合の陸上自衛官などの殉職者の慰霊・顕彰が、民主主義国家として相応(ふさわしい)姿で整斉と斎行されるよう提言していく所存であります。
 
 最後に、わが国の防衛のために尊い一命を捧げられた陸軍将兵、海軍将兵、更には戦争において国のために亡くなられ学徒、女子挺身隊員などの戦没者を慰霊・顕彰し安らけく神鎮(かみしずまり)ますことを祈念するとともに、感謝の念を捧げ、この記念すべき日の慰霊の言葉といたします。
 
令和五年四月十七日
 
公益財団法人 偕行社
理事長 森 勉

 


令和4年度 偕行社慰霊祭の実施

これまで実施していた市ヶ谷台慰霊祭、月例参拝等を一本化し、今後毎年4月17日に「偕行社慰霊祭」として実施することになりました。

去る4月17日、靖国神社本殿において偕行社森 勉理事長以下多数の会員が参集し、まず市ヶ谷防衛省殉職隊員の碑に参拝し、引き続き靖国神社本殿にて慰霊祭を催行いたしました。
 
森 勉理事長の祭文は以下の通りです。
 
偕行社慰霊祭 祭文
本日 四月十七日は、明治維新以降近代国家として発展するわが国が、国軍健軍後初めての国運をかけての対外戦争である日清戦争終結の日であります。爾来、明治・大正・昭和のわが国防衛のために尊い一命を捧げられた多くの陸軍将兵とともに海軍将兵の戦没者の御霊(みたま)が祀(まつ)られるここ靖國神社において、「第一回偕行社慰霊祭」を執り行うにあたり、ご参列の皆様を代表して、謹んで祭文(さいもん)を奏上いたします。
今からさかのぼること概ね一五〇年、ペリー来航という軍事力を背景とした開国・開港の要求、二回の下関での敗北、薩英戦争の経験から、近代的な国づくりと欧米列強の軍事力に対抗し得る近代的な国軍の必要性を痛感した時(とき)の明治政府は、明治二年兵部省を設置し、軍事制度と組織の整備に着手しました。明治五年には兵部省に代わり陸・海軍省が設けられ、明治六年徴兵令に基づく徴兵が開始され、わが国の国軍としての基礎が整えられました。この日本国軍の健軍からまもない明治七年には陸軍士官学校、明治八年には陸軍幼年学校がそれぞれ創設され、その翌年の明治九年には海軍兵学寮が改称されて海軍兵学校が開校しました。
陸軍士官学校からは、約三万九千名の卒業生が陸軍の将校として巣立っていきました。陸軍将校の方々は、明治十年の東京九段を皮切りに全国各地に設立された『偕行社』において、親和・研鑽に努められ、明治・大正・昭和にわたるわが国の近代国家建設の過程において、日本陸軍の中枢として国家存亡にかかわるわが国の枢要な軍事の任にあたられ、わが国の脊柱としての役割を果たされました。
特に、明治以降の日清戦争から大東亜戦争までの数次に亘る戦争に際しては、多くの陸軍将校の方々は、「国を護る志」のもと、伝統ある祖国の将来にわたる国体の護持と繁栄、そして安寧(あんねい)を希(ねが)い、北は酷寒不毛の地、南は酷暑瘴癘(こくしょしょうれい)の地に赴き、陸にまた空において、勇戦敢闘して祖国に殉じていかれました。その数は約八千余柱に及びます。愛する家族を故国に残して異国の地で敢然と散って逝かれた陸軍将校の方々と一家の柱を失い後に残されたご遺族の方々の深い悲しみに思いを致すとき、今なお万感胸に迫るものがあります。
同じく、海軍兵学校を卒業された約一万一千名の海軍将校の方々は、太平洋などの海・空戦において奮戦敢闘して、約四千名の方々がわが国防衛のためにひたすら「国安かれ」の一念のもと、祖国のために殉じられました。また、学徒や女子挺身隊などの多く方々が勤労動員中に軍需工場で亡くなられました。このような多くのかけがえのない方々を失ったことは、ご遺族はもとより、国家にとって誠に大きな痛手であり、悲痛の念に堪えません。
今日、わが国国民が享受している民主主義国家としての平和と繁栄は、明治以降の国家存亡の危機に際して、「国を護る志」を持ってわが国の存立を担う崇高な職務に殉ぜられた多くの方々の国のために尽くすという無私の献身により築かれた礎の上にあると言っても過言ではありません。改めて、ここ靖國神社に祀られる陸軍将校を始めとする全ての御霊(みたま)に謹んで哀悼の意を表しますとともに、限りない尊崇と感謝の誠を捧げます。
現在、遠く欧州においては、核保有国が通常軍事力を行使して隣国の体制の変換を求める軍事侵攻事態が生起しておりますが、世界はこれを抑止できない状況です。翻って、わが国周辺には核保有国が存在しています。わが国を取り巻く安全保障環境は極めて厳しい状況にあると認識せざるを得ません。
このようななか、同じ「国を護る」という強い意思をもつ陸上自衛隊などの元幹部自衛官に継承されていく偕行社は、先人から託された歴史と伝統・文化に恵まれたこの素晴らしい祖国日本を護るため、今後は戦前の陸軍将校の皆様の御意志を受け継いで、陸上自衛隊の退官者の組織として、わが国の陸上防衛にかかわる安全保障の充実発展に尽力するとともに、陸上自衛隊を支援してまいります。
一方において、先の大戦が終結してから長い歳月が流れ、今や戦後生まれの世代が国民の主力を占めるようになり、平和と繁栄に慣れるうちに、戦没者に対する敬意と慰霊の心が薄れつつあることが憂慮されます。更に、国のために尽くす責任感の希薄化と国民道義の頽廃(たいはい)は大きな懸念であります。偕行社は、本日のこの慰霊祭をとおして、国のために殉じられた方々の慰霊・顕彰と国民一人一人の「国を護る志」の大切さをしっかり普及し、後世に受継いでいかなければならないと決意を新たにするものであります。
 
先般の令和の御代(みよ)の幕開けに伴いご譲位あそばされた上皇陛下は、御即位以来三十年、戦没者の慰霊には格別の大御心(おおみこころ)を寄せられ、国内外にわたり慰霊の旅を続けてこられました。偕行社は、この上皇陛下の戦没者の慰霊に対する強い思し召しにそうよう、尊い一命をわが国のために捧げられた方々の御霊(みたま)の慰霊・顕彰が、世界の近代国家と同じように、国家として、斎行されるよう提言して参ります。併せて、陸上自衛隊などの元幹部自衛官に継承される偕行社として、今後同じ「国を護る志」を持つ現職陸上自衛官などが事に臨んで任務遂行中に亡くなった場合、国家としての慰霊・顕彰が整斉と実施されるよう同じく提言していく所存であります。
わが国の防衛のために尊い一命を捧げられた陸軍将兵、海軍将兵、更には戦争において国のために亡くなられ学徒、女子挺身隊員などの英霊を慰霊・顕彰し安らけく神鎮(かみしずまり)ますことを祈念するとともに、感謝の念を捧げ、この記念すべき日の慰霊の言葉といたします。

令和四年四月十七日
公益財団法人偕行社 理事長  森 勉