Service  陸修偕行社慰霊祭等のご案内ならびにご報告

令和七年度 陸修偕行社慰霊祭の斎行

 

はじめに 

桜も葉桜となり新緑が眩しい清々しい天候の中、令和7年4月17日午前10時30分より、令和七年度陸修偕行社慰霊祭が靖國神社にて斎行されました。
偕行社として毎年実施していた市ヶ谷台慰霊祭及び月例参拝を統一して、明治の国軍創設後、国運を賭けての初の対外戦争・日清戦争終結の日である4月17日に慰霊祭を斎行することになってから通算4回目の慰霊祭です。昨年4月1日に陸修偕行社が発足してからは、2回目の慰霊祭になります。
 
慰霊祭に先立ち、市ヶ谷駐屯地慰霊碑地区において、陸修偕行社理事長・火箱芳文、ご遺族・中川聖(さとし)様他、市ヶ谷台慰霊会々員の皆様が、陸軍大将・阿南惟幾(これちか)荼毘の碑、陸軍元帥・杉山元(すぎやま げん)及び陸軍大将・吉本貞一(ていいち)自決の碑、全陸軍航空部隊の碑、陸軍少佐・晴氣(はるけ)誠慰霊碑、そして自衛隊殉職隊員の碑に対して、万感の思いを込め献花・拝礼を実施いたました。

 
 

令和七年度陸修偕行社慰霊祭の概要

慰霊祭斎行の目的は、「国家防衛のために尊い一命を捧げた陸・海軍将兵、更には戦争において国のために亡くなられた学徒、女子挺身隊員などの英霊を慰霊・顕彰し安らけく神鎮(かみしず)まらんことを祈念するとともに、感謝の念を捧げる」でありました。
来賓として、陸幕代表者、関係協力団体代表者、地方偕行会会長などをお迎えし、ご遺族、陸士・陸幼各期代表者、法人・個人賛助会員、家族会員、元自会員等が参加し、総参加者は約140名でした。
 
慰霊祭参列者は、午前10時30、参集殿に集合、昨年4月1日に就任された大塚海夫宮司のご挨拶を頂いた後、参集殿から拝殿に参進、開式の辞、元海自東京音楽隊・堀田和夫様及びご息女の町ともみ様のトランペット演奏による国歌斉唱の後、修祓(しゅばつ)、献餞(けんせん)、祝詞奏上、陸修偕行社・火箱理事長による祭文(さいもん)奏上、続いてトランペットによる献奏で拝殿における儀式は終了しました。
トランペットによる献奏は、奏者の堀田和夫氏がアレンジした軍歌メドレー(「日本陸軍」・「暁に祈る」・「空の神兵」・「加藤隼戦闘隊」)、及び唱歌(「ふるさと」)の二曲。静寂の中に、時には皓皓(こうこう)と、またある時には杳杳(ようよう)と響き渡り慰霊祭が一層印象深いものとなりました。
この後、本殿に昇り、代表者による玉串奉奠(ほうてん)に合わせて参列者全員が拝礼、最後に、トランペットの「国の鎮め」の演奏により黙祷、英霊の御霊に哀悼の誠を捧ました。
 

直 会

拝殿及び本殿における慰霊祭斎行後、靖國会館に移動し直会を実施しました。新宮司の大塚海夫様におかれましては、拝殿集合時のご挨拶に続き、 直会にもご参加頂き、冒頭にご挨拶を賜りますとともに、ご多用中にも拘わらず最後までお付き合いを頂き心から感謝・御礼申し上げます。
直会の式次第については、所用で拝殿及び本殿における慰霊祭に参加できずに直会から参加頂いた方もおられることから、今一度、トランペット演奏による国家国歌斉唱を実施後、初めに、陸修偕行社理事長・火箱芳文の挨拶、ご遺族代表・中川聖様のご挨拶、続いて、ご来賓の靖國神社宮司・大塚海夫様のご挨拶、来賓紹介、祭電披露と続きました。そして、弊社会長・森勉の献杯により会食・懇談に入りました。会食・懇談は、終始、和気藹々の雰囲気で大いに盛り上がりました。
最後に、トランペット演奏により「同期の桜」を全員で唱和して名残り尽きない直会を終了しました。

 
令和7年度陸修偕行社慰霊祭・祭文 偕行社理事長・火箱芳文が奏上した祭文に陸修偕行社慰霊祭の趣旨、陸修偕行社が、これまでの偕行社の事業を、陸自元幹部自衛官等が受け継ぐ覚悟などが表明されていますので、長くなりますが全文を掲載いたします。
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本日ここに、令和七年度陸修偕行社慰霊祭を、二四六万六千余柱の御霊が祀られている靖國神社において斎行するにあたり、ご参列の皆様を代表して、謹んで祭文を奏上いたします。
本日、四月十七日は、明治維新以降近代国家として発展する我が国が、国軍創設以来初めて国運を賭けて戦った対外戦争である日清戦争が、明治二十八年終結した日であります。 爾来、日露戦争、第一次世界大戦・満州事変・支那事変・大東亜戦争などの数次にわたる事変や戦争に際して「国家防衛のためにひたすら「国靖(やす)かれ」の一念のもと、陸・海軍将兵の数多くの方々が、祖国の国体の護持と繁栄、そして安寧を希い、陸に海に、そして空に於いて勇戦敢闘し、祖国のために殉じて逝かれ、また軍人の他にひめゆり部隊、従軍看護婦、樺太真岡の電話交換手など軍属・文官・民間の多数の方々が勤労動員中に尊い命を落とされました。 愛する家族を故国に残し、北は酷寒不毛、南は酷暑瘴癘(しょうれい)の異国の地、あるいは海洋で敢然と散って逝かれた方々、及び日本国の勝利を信じ不眠不休の勤労動員中に亡くなられた方々の無念さと、後に残されたご遺族の方々の深い悲しみに思いを致すとき、今なお万感胸に迫るものがあります。
今日、我が国が享受している民主主義国家としての平和と繁栄は、明治維新以降の国家存亡の危機に際して、「国体を護る志」を持って崇高な使命に殉ぜられた多くの方々の献身により築かれた礎の上にあると言っても過言ではありません。 この平和と繁栄が恒久的に続くことを願って止みませんが、昨今の我が国を取り巻く安全保障環境は、いまだかってない極めて厳しい状況にあると認識せざるを得ません。 そして、旧陸海軍と同じ「国を守る」という強い使命をもつ自衛隊は、憲法上の制約により、未だ軍隊としての地位を与えられておらず、そこから派生する多くの重要な課題を抱えながら我が国防衛の任務を遂行せざるを得ません。
今年は、大東亜戦争が終結してから八十年になります。 今や戦後生まれの世代が国民の主力を占めるようになり、平和と繁栄に慣れるうちに、戦没者に対する敬意と慰霊の心が薄れつつあることが憂慮され、更に国のために尽くすという責任感の希薄化と国民道徳・道義の頽廃は大きな懸念であります。 このような状況の中で、昨年四月一日、旧偕行社が陸上自衛隊の幹部自衛官等退官者の会である「陸修会」との合同により、「陸修偕行社」となって、一年が経過いたしました。
弊社は、戦前の陸軍将校の皆様の御意志を受け継ぐに最も相応しい組織としての誇りをもって、旧偕行社の良き伝統と輝かしい事績を引き続き継承し、尊い一命を我が国のために捧げられた陸軍将兵を始めとする戦没者の慰霊・顕彰を継続し、国民意識の啓蒙に尽力して参ります。 また、歴史と伝統・文化に恵まれたこの素晴らしい国・日本の防衛のため、諸課題の解決による安全保障体制の充実・発展に組織を上げて尽力するとともに、自衛隊、特に陸上自衛隊に対する必要な支援・協力を推進して行くことを御英霊の御前でお誓い申し上げます。 さらに、国家としての英霊の慰霊顕彰のあり方は如何にあるべきかはもとより、今後、有事における任務遂行中に亡くなった場合の自衛官などの戦死者に対する慰霊・顕彰が、国家として相応しい姿で整斉と斎行されるよう提言していく所存であります。
最後に、重ねて、国家のために尊い一命を捧げられた陸・海軍将兵、軍属・文官・民間の戦没者の皆様が安らけく鎮まりますことを祈念いたしますとともに、心からの感謝と敬意の念を捧げ、私どもになお一層のご加護とお導きを賜りますことを冀(こいねが)って慰霊の言葉といたします。

令和七年四月十七日
公益財団法人陸修偕行社理事長
火箱芳文 

 

終わりに

通算4回目となる令和七年度陸修偕行社慰霊祭は、厳粛に滞りなく斎行されました。斎行に際し、ご支援を頂いた靖國神社及び陸修偕行社事務局並びに勤務員の皆様、そしてご多用中にも拘わらずご参列を頂いた皆様にこの場を借りて深甚なる感謝の意を表します。
偕行社は、昨年4月1日に、陸上自衛隊幹部退官者の会・陸修会と合同し、「陸修偕行社」として新たな第一歩を踏み出し、毎年4月17日に「陸修偕行社慰霊祭」として靖國神社において慰霊祭を斎行いたします。
多くの皆様のご参列を心からお待ちしております。草々不一
(文責:慰霊援護委員長 陸自77期 平野治征)
 


第14回軍馬・軍犬・軍鳩合同慰霊祭参列

 
靖國神社の境内に桜の花びらが風に舞う中、4月6日(日)午後1時より、靖國神社主催の第14回軍馬・軍犬・軍鳩合同慰霊祭が斎行されました。靖國神社招待者5名、陸修偕行社案内の35名、当日の一般参加者10名、合計約50名の参列者を得て、盛大且つ厳粛に執り行われました。
 
慰霊祭には、昨年4月1日付けで就任された大塚海夫宮司、靖國神社招待の軍馬・軍犬・軍鳩に御縁のある方々、陸修偕行社からは火箱理事長代理・熊谷猛相談役以下が参列しました。雨予報のため、遊就館本館正面玄関内(屋根有り)での斎行となりましたが、遊就館前広場に並ぶ戦歿馬慰霊像・軍犬慰霊像・鳩魂塔を近くに見渡せる祭礼場所でした。
各慰霊像前には、人参、ドッグフード、クッキー、豆類等が供えられ、曇り空とは言え爽やかな春風を感じながら、それぞれの慰霊像も喜びに満ち満ち輝いて見えました。
 
戦歿軍馬・軍犬・軍鳩の慰霊祭は、従前、それぞれの慰霊祭奉賛会等が中心となって別々に開催されていましたが、会員の高齢化・減少に伴い、平成24年度度から毎年4月の第一日曜日に合同で実施することになり、今回の開催が14回目になります。
祭式は、君が代斉唱の後、修祓、献饌、祝詞奏上に引き続き、「愛馬進軍歌」・「軍用犬行進歌」・「勇ましき軍鳩」が献歌され、大塚宮司、そして各関係団体の方々の玉串奉奠が行われました。残念ながら、最後の約100羽の白鳩の放鳩は取りやめとなりましたが、意義のある慰霊祭となりました。
引き続き、参列者一同、昇殿参拝を行い、靖國の英霊とその御祭神の戦友として斃れた軍馬・軍犬・軍鳩の慰霊鎮魂をお祈り致しました。
 
各戦役等で斃れたと推定される約110万頭の馬・数万頭の犬・数万羽の鳩、靖國の英霊と同じように、国のために命を捧げた軍馬・軍犬・軍鳩の慰霊・顕彰を末永く続けて行かなければとの想いを強くして靖國神社を後にしました。
ご参列の皆様、ありがとうございました。
(文責:慰霊援護委員会)

(慰霊祭実施場所(遊就館正面玄関内))
 
(軍馬・軍犬・軍鳩慰霊像)
 
(祭式の様子)
 
(陸修偕行社・熊谷相談役(左端)大塚宮司(左から2人目))